夢の職業に就き、ある程度の地位まで順調に確立できたアラフォーママです。
しかし、苦労の末の出産をきっかけにこのままでいいのか?と行き詰まりを感じ、
人生を見つめ直したときに、
✨「子どもの『やってみたい!』を叶えてあげられるよう、
経済的にも時間的にもゆとりのある生活を送りたい」
✨「家族との時間を優先しながら、私自身も社会で必要とされる人になりたい」
在宅でWebマーケティングを活用し働くという決意をしました。
小1の壁を回避するために
スキルゼロ・収入ゼロから
午前勤務のみで月収30万円を目指す
✅小1の壁で悩んでいるママ
✅スキルゼロだけど大丈夫?と思っているママ
✅日々忙しく時間に追われる中で、時給単価を上げたいと思っているママ に
ぜひ読んでいただきたいブログとなっています。
午前勤務のみで月収30万円!?
突然大それたことを言いだして、そんなことが出来るのかと思われた方も多いと思います。
しかし、この目標は自分の行動しだいで実現可能と思い立てた目標であり、
これから投稿していくブログをみていただきながら、
この目標が可能なものなのかを確かめていただければと思います。
その経緯について、自己紹介を踏まえてお話させていただきます。
≪基本情報≫
名前:ゆりん
年齢:35歳
出身地:神奈川
家族構成:夫、息子2人
好きな食べ物:お寿司・小籠包・クレープ
趣味:茶道・スキューバダイビング・カラオケ
好きな言葉:きっとうまくいく
幼少期:口数のすくない少女

わたしは、神奈川県にある一般的な家庭に生まれました。
家族はひいおばあちゃん・祖父母・両親・兄そしてわたし。
収入は一般と比べたら少なめだが、日々の生活に困ることはない程度。
兄がやんちゃでよく怒られる姿をみていたからか、
幼いながらに怒られないためにはどうしたらいいか?ということを学び、
人の表情を気にするクセはココからきているのだろうと思う。
小学校の頃は兄が大好きで、兄の友達と毎日外でかけまわる日々。
性格は、家族の中ではお調子者でテーブルの上にのってダンスを披露していた半面、
外ではかなり引っ込み思案で、
おしゃべりな母の影響もあり、いつも選択肢を与えられ、首を縦か横にふるだけで
物事がすすんでいき、結果口数が少ない少女が完成した。
小学校~高校生:私の基盤

茶道との出逢い
小学2年生の夏。
自分の人生にとっては転機となる茶道との出逢い。
父が習っていた茶道教室を何度か訪れていたある日、
先生からお誘いを受け、週に一度お稽古することとなった。
「なんだかココは普通の場所とは違うな」と
小学生低学年でも肌で感じることができる場所であったが、即決。
引っ込み思案で何も自分で決めたことのなかった少女が
初めて自分の意志で選んだことでした。
その時の記憶はほぼないが、今思い返すと
上品で魅力的な先生、キラキラしたお姉さんたちが沢山いて、
「私もこんなふうになりたい」という憧れが強かったように思う。
お稽古をしていく中で、
人を思いやる気持ち・四季への感性や所作の美しさなどを学び続け、
社会人10年目でやっと師範の資格を修得。
小学生から積み重ねてきた努力が実を結び、すごく嬉しい出来事でした。
だからこそ、茶道で培った経験が私の価値観の基礎になっています。
夢をもち、突き進み キャラ変
小学3年生の夏。
一緒に暮らしている祖父が倒れ、左半身麻痺の障害が残った。
祖父は、動かしづらい足を引きずりながら懸命に歩いたり、
ベッドに寝た状態で、何秒膝を立てていられるかのリハビリをしており、
幼い私は誰に言われるでもなく、
次の日からは自らストップウォッチを持参し、
見よう見まねでリハビリをしていたそうです。
そんな毎日を過ごしていた結果、
リハビリ職に興味を持ち、自然とそれが夢となりました。
そこからは今考えても不思議な感覚だが、
”○○になりたい”ではなく、”○○になるもんだ”となるのが当然
だと使命のように感じ、迷うことなく突き進むことになりました。
高校は、中学までの友だちがいない環境でとても不安ではありましたが、
将来リハビリ職に就くなら医療や福祉の勉強を早いうちにした方がいいと思い、
福祉科のある遠い高校を受験し、見事合格。
高校の普通の科目と並行して福祉や点字などの授業があり、部活も手話部に所属。
ボランティアが当たり前の校風で
3年間もの間、ほとんど休むことなく週に一度、
障害児の家に通い、リハビリを経験。
世間に揉まれ汚れてしまった今、冷静に考えると
「当時はなんであんなに頑張れたのだろう?」と驚きますが
高校生のピュアな気持ちと周りの環境がそうさせたと思ってます(笑)
そして、やりたい分野の勉強となりたい夢に近づけている感覚。
それが相まって、中学までの陰キャラが自己表現のできるキャラまで成長していきました。
専門学校 :猛勉強できたのはお金の力

やっと憧れのリハビリ職(作業療法士)になれると、4年生の専門学校に入学。
1・2年生の時は放課後に遊びに行く余裕もある勉強量。
しかし、3年生になると状況が一変。
クラスの2分の1が留年生という環境で進級するには日々の課題をこなしつつ、
4年生に進級した先輩にどれだけ媚びて、
テストの過去問をゲットするかが大きななミッションでした(笑)
また後半のテストになるにつれて、上部に5行ほど患者様の情報が書かれており、
あとは白紙が配られ、90分のうちにどれだけ症例に寄り添った
治療プログラムを書き綴るかを試される難関問題。
そんな3年生の時期、留年の恐怖と同時に、私はもう1つの試練に直面していました。
それは金銭面での恐怖。
裕福な方ではない我が家は奨学金を2つも借りて学生生活を送っていたもので、
進級できなければ奨学金を借り続けることができず、
それは留年=退学とほぼ同義でした。
さらに、奨学金の申請では審査を通すために借りたい理由の文面を何度も書き直し、苦痛を感じ、
学校で手続きをする際には、2つ借りている私を晒し者にし、
手続き担当の配慮のなさに心の底から悔しい思いをしました。
私はその恐怖心や悔しい気持ちをバネにして死ぬ気で勉強し、
追試や寝ない日をなんとか超えて、4年生へ進級。
4年生になると、クラスの4分の1が同期。
「この人は4年生何回目なんだろう?」という人が沢山いる中で
臨床実習を経験し、その合間に国家試験対策をする毎日がすぎた。
迎えた国家試験。
自己採点ではギリギリで発表まで不安が募る毎日でしたが、無事に合格。
こうして念願の作業療法士になれました。
社会人:患者様第一から部下第一へ

就職はリハビリの中でも、狭き門の精神病院に勤務。
先輩1人と私という職場環境で、
やっと少し慣れてきた2ヶ月目のある日、
先輩が私に「私、辞めることにした」と言いました。
まさかの出来事で、今でもその映像が脳裏に残っています。
そして、私は新人にもかかわらず
その病院のリハビリを一人でまわすスーパー?ルーキーに!!(笑)
今考えればそんな事があったおかげで、基礎の調べる力が養われたのかなと感じます。
2社目は認知症の病院に就職が決定。
一人職場になる危機を迎えるのは絶対に嫌だった私は、大きな病院を選びました。
しかし、そこはなかなかの年功序列。
先輩にこれはどういう意図があって行っているのか聞いても、
「昔からやっているから」の一点張り。
「昔からやっていること=正しい」と判断している風習が染みついており、
1社目で調べるクセがついていた私にとって、その病院はハテナだらけの病院でした。
入社早々に辞めたいという気持ちが沸きあがったが、
入職したばかりで辞めるのも分が悪いと判断し、
自分を押し殺しながら、一旦そこのやり方に染まってみることにしました。
そこから数年、部門のトップが変わった瞬間、私は初めて役職をいただきました。
それからというもの、毎年一つずつ役職を駆け上がり、
気づけば上司を抜かし、部署のTOP2として、30人をまとめるまでになりました。
結婚・出産 :自分ではどうしようもない大きな壁

仕事もバリバリとこなし、プライベートも充実して結婚。
そんな日が一転。
「子どもを授かるには、旦那さんの手術、そして体外受精が必要です。」
「ただ、それをしたからといって可能性は低いと思ってください。」
妊活をして半年が過ぎ、原因を調べてまた半年。
原因がわかった安堵と現状の厳しさに混乱し、頭が真っ白になった日。
なんだかんだ順調にいっていた人生の中で、一番つらい日々が始まりました。
薬の副作用で手が震え、動悸がする毎日。
自己注射への恐怖や検査の度に採血を失敗され、増えていく傷跡。
治療のことで頭がいっぱいになり、しだいに仕事も疎かになっていきました。
変化に気付いた上司に全てを打ち明け、一旦心は落ち着いたものの、
治療に関する夫婦の意見のすれ違い、ケンカの日々。
冷静に考えてあの時の状態は、絶対にうつ病をわずらっていました。
だが、どんな時も最後は寄り添ってくれた夫。そして両親・義理両親。
職場の支えがあり、5年の間にやっとのことで2人の子宝に恵まれました♡
これからの未来に向けて:今は子ども第一

子宝に恵まれたこと、それは本当に奇跡で、幸せなことです。
現実暮らしていくにはお金が必要で、
それをきっかけに育休期間中に今後について真剣に考えた結果、
私は子育てと仕事を両立できるママになりたいという結論に達しました。
今の仕事は好き、だけど責任と収入のバランスが悪く、
不妊治療は自分じゃ頑張れないところが多すぎたけど、
これからの未来を変えるのは自分の頑張り次第でどうにかなる!!
他にも現状の悩みである
✅通勤時間2時間の職場復帰は現実的ではない
✅今の働き方では子どもの急病時や親の介護などの対応ができない など
悩みを解決できる在宅ワークに焦点を当てることを決め
この考えのもと、育休中に在宅ワークを学べるオンラインスクールに入会。
今後フリーランスとして独立するにあたり、
安定して指名される必要があり、
「自分」という商品を効果的に売るために
Webマーケティングという分野を極めていくことにしました。
そして、職場を辞める決意をしました。
「子どもの『やってみたい!』を叶えてあげられるよう、
経済的にも時間的にもゆとりのある生活を送りたい」
専門学校の手続きで金銭面の悔しさを感じたあの日、
そんな思いを私の子どもにはさせたくない。
また、今のままの環境では時間に追われ、習い事にも行かせてあげられない。
そして、仕事・家事・育児と時間に追われる生活の中で、
子どもにあたってしまうこともある。
叱ったことに対して、自己嫌悪に陥る日々
時間の余裕があれば、心の余裕ができる、
それは子どもにとっても、私にとっても理想の未来なのではないかと考えました。
1年半 月収30万円
2年 午前勤務のみで月収30万円
3年 小1の壁を回避し、午前勤務のみで安定して月収30万円を継続
より詳細な計画はこちらの記事にまとめました。
私はこれからこの計画を実行していき、目標実現のために努めていきます。
そして、私と同じように子育てと仕事の両立のために悩み、
ライフステージに応じた臨機応変な働き方を目指したいと思っている
一人でも多くのママに届くように、このブログを書き続けていきます。
私と同じ境遇でこのブログを最後まで見て下さった
あなたの役に立てるようぜひ私を実験台のように活用して
子ども、ひいては家族の未来が明るくなるように一緒に実行していきましょう。
まずは目標である月収30万円に向かって歩み始めます。
ぜひ、この計画でそれが可能であるのか、
その答えをこのWebサイトで確かめてみてください。
また、皆さんがもし私のやり方を参考にして行動を始めようとした時のため、
その道しるべとなるようにしっかりと成長過程を記録に残し、発信していきます。
よかったら定期的に私の成長状況を見に来ていただけたら幸いです◎
ゆりん